第14回 李孚


李孚 字は子憲。
裴注三国志では、李孚に関する記載は魏書の賈逵伝にある (・・・というかそこにしかない)。魏書3巻の145-148P

魏略の列伝には、賈逵、李孚、楊沛の三人の伝が一巻にまとめられているそうだ。
裴松之が注を付けなかったら、知られることがなかった人物かも知れないと思う。

動画で扱った李孚の内容は、裴注三国志の記述ほぼすべてである。

ほぼ訳 李孚 (三國志修正計画より)
結語部分は動画に収録し忘れました (テヘ

李孚の本姓は馮で、後に改めて李としたものである。

赤字部分は動画で触れ忘れた所です。


Youtube 李孚 7:48~曹操の応対は流石の器量と言うべきだろうと思う。
まぁ、曹操も平原城内の人心が定まらないことには頭を痛めていただろうが、案外ノープランだったのかな?
曹操のように、いちいち注文を付けずに仕事を任された時の李孚の心中は、いかばかりであっただろうか?


李孚は結構出世している。
気になるのは讒言されて閑職に回されていた時期があった。ということだ。詳しいことは分からないが、嫉妬・妬み、もしくは怨みを買ったのだろうか?
司隷校尉と言えば、李膺 (動画張邈参照)、李傕、曹操張飛などが務めた官職。
# まぁ、張飛は実質がともなっていなかったけど・・・

動画より詳しく説明すると司隷校尉の仕事は、司隷諸郡の監察を取り仕切り、法に違反した者を摘発することで、その対象は尊卑の区別はない。
#後漢・魏の首都 洛陽、前漢の首都 長安を含む地域を総攬していたわけだから、まぁ、すごいわな。

司隷校尉は地方官であると説明したが、首都近辺は朝廷直轄で中央官として扱われるという説もある。
# 本動画では、ちくま訳裴注三国志の記載に倣って地方官とした。


今回はこんなところで。