2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

07回 創作メモ 張邈について

張邈 字: 孟卓 (? - 興平2年 (195年))(1-18,20,22,29,31,39,417,448,457、2-13,41,46,52,54,55,86,137,160,234,235、3-13,36,198,262、4-72,73、5-215) 兗州東平郡寿張県(山東省泰安市東平県)の人。弟は張超。『三国志』では「呂布伝」に付伝されている。…

第8回 創作メモ 昌豨 ほぼ台本

昌豨 (1-38,43、2-144、3-213,224,250,256、5-34,131) 昌豨 (?-206年) は、中国の後漢時代末期の武将。徐州東海郡の人。別名に「昌覇」もある。徐州東海郡の独立勢力指導者。 泰山方面で孫観・呉敦・尹礼らと共に、臧覇を首領として活動していた。臧覇らは当…

メモ

『淮南子』泰族訓はいう。「1万人に知過する者を、英という。1千人なら俊、1百人なら豪、1十人なら傑だ」と。

07回 創作メモ 郭貢について

豫州の各郡太守潁川秦襲 / 秦彭 / 逯並 / 寇恂 / 郭伋 / 任延 / 葛興 / 趙興 / 顧奉 / 竇瓌 / 王昱 / 朱寵 / 种払 / 周栄 / 張敏 / 黄昌 / 宋登 / 段熲 / 楊彪 / 何進 / 高倫 / 巴粛 / 司馬雋 / 曹褒 / 張温 / 李旻 / 陰脩 / 鄧颺 / 夏侯淵 / 高柔陰脩南陽郡…

07回 創作メモ 二袁相克

前哨戦は191年の襄陽の戦い袁紹と結んだ劉表が、孫堅と戦う。孫堅が死亡。この戦いの遠因は朱儁 朱儁は董卓から離反、洛陽を出奔し、兵を率いて荊州(南陽)つまり袁術の下へやってきた。どういう経緯があったか不明だが、朱儁は中牟に駐屯して北(から来る…

07回 創作メモ 雑多 (1)

張燕袁紹と公孫瓚が冀州の領土を争ったとき、張燕は将軍の杜長らを派遣して公孫瓚に味方して袁紹と交戦したが、袁紹に討ち破られた。《張燕伝》(2-121) 191年7月の冀州魏郡への侵攻ではない。 于毒192年春 于毒は曹操が頓丘に出陣した隙を狙い、曹操の本拠地…

07回 創作メモ 名士について (2)

王肱 生誕地不明劉岱 徐州沛県万潜 生誕地不明薛悌 兗州東郡接点か見いだせないなぁ郭嘉、戯志才なんかと同じように、世間から距離を置いていた人だったかもしれない。余談だが戯志才は196年 献帝擁立後に仕え、郭嘉の出仕が199年だから。短いな。曹操が東郡…

07回 創作メモ 陳宮

字は公台。東郡武陽の人《後漢書呂布伝》。 陳宮は剛直壮烈、若くして海内の知名の士はみな交友を結んだ。天下が混乱すると太祖 (曹操) に随身した《呂布伝》。 陳宮は東郡の人であるから、曹操が東郡太守になったとき配下に加わったのだろう。正史 呂布伝の…

07回 創作メモ 名士について (1)

水利事業後漢より、水利や建設は、汝南や頴川でたくさん行われた。『後漢書』杜詩伝に、建武七年、南陽太守となって、水利したことがある。建安十三年、鄧晨が南陽太守となり、汝南の平輿の人・許楊ととに堤防をなおした。両漢のあいだで、気候の変化があっ…

07回 創作メモ 韓馥について

韓馥 字を文節といい、潁川の人当時、渤海郡には董卓と対立し出奔していた袁紹が、太守として入っていた。韓馥は元々袁氏に仕えた役人であったが (魏志「袁紹伝」)、董卓の意向を忖度して従事を数人使い、袁紹を監視した (魏志「武帝紀」が引く『英雄記』) …

07回 創作メモ 金尚について

金尚 元休 京兆尹の人 初平四年(193年)頃、長安の献帝によって兗州刺史を拜して東に向かった。 しかし、曹操が既に兗州牧を称していたため、南へ向かって袁術に頼った。 春、劉表が曹操軍の糧道を断ち、袁術が陳留郡に進軍して封丘県に駐屯した。金尚もこ…

07回 創作メモ 辺譲について

正史 三国志陳留の辺譲の議論が随分太祖の感情を害した。太祖は辺譲を殺害し、その家族を皆殺しにした。(武帝紀 曹瞞伝の引用 1-120)然るに曹操は、その儘その基盤を利用してのさばり、思いの儘に苛酷な行いをし、民衆から搾取剥奪し、賢人を傷付け善人を迫…